お茶の歴史

お茶の歴史④

投稿日:2017年4月9日 更新日:

お茶の健康効果が次々に明らかになっている一方で、家庭でも、急須で丁寧にお茶をいれる習慣が減っています。お茶を飲む習慣は徐々に日本 から失われつつあります。日本での緑茶の生産量と、国内消費量も減少傾向にあります。

お茶を毎日飲むだけで、びっくりするくらいの健康効果があるのです。

お茶の歴史④

室町時代~安土桃山時代(1336~1603)

足利義満(1358-1408)は、宇治茶に特別の庇護を与え、これは豊臣秀吉(1537-1598)にも受け継がれ、宇治茶のブランドが形成されていきました。安土桃山時代には、宇治で覆下栽培も始まり、高級な碾茶に加工されました。

15世紀後半に村田珠光 (1423~1502)は「侘茶(わびちゃ)」を創出し、これを受け継いだ武野紹鴎 (たけのじょうおう、1502~1555)、千利休 (1522~1591)らによって「茶の湯」が完成し、豪商や武士たちに浸透していきました。

豊臣秀吉と石田三成の緑は、お茶がきっかけ!

「武将感状記」という記録によると太閤秀吉がかつて長浜城主のとき、ある日鷹狩りをもよおし、終日山野をめぐり山寺で憩い、茶を求めました。やがて佐吉という眉目秀麗なる小坊主が大茶碗にたっぷりぬるい抹茶をたてて捧げました。秀吉は今一服と所望すると、次はやや熱くして半分の量を捧げました。秀吉はこころみに三度所望しました。すると最後は小茶碗にいとも少量を熱くして 恭しく進めました。秀吉はそれを飲み、小僧の才知に感じ入り和尚に乞うて連れ帰り、近侍としました。この小僧が後に天下に名をなした器量人、石田三成その人です。飲み手のことを考えて茶を入れる心、ぜひとも学びたいものです。

 

江戸時代(1603~1868)

茶の湯は江戸幕府の儀礼に正式に取り入れられ、武家社会に欠かせないものとなりました。一方、江戸時代では一般庶民にも飲料としてのお茶が浸透していたことが当時の記録から伺うことができます。庶民に飲まれていたお茶は抹茶ではなく、簡単な製法で加工した茶葉を煎じた(煮だした)ものだったようです。

1738年、宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)は、製茶方法を丁寧な方法に改めて、優良な煎茶の製法を編み出し、煎茶の祖とよばれています。 これまでにない緑色の水色と甘味、馥郁(ふくいく)とした香りは江戸市民を驚嘆させました。宗円が生み出した製法は、「宇治製法」と呼ばれ、18世紀後半以降、全国の茶園に広がり、日本茶の主流となっていきました。また、より高級な煎茶を開発しようと、碾茶に用いられていた覆下栽培を煎茶に応用する試みが行われ、1835年、山本嘉兵衛(やまもとかへえ)により玉露の製法が生み出されたといいます。

近世になると流通機構がより発達し、茶町と呼ばれる流通の拠点で、茶株仲間(江戸の消費地問屋)や、茶仲間(地方都市の産地問屋、荷主)と呼ばれる人々が許可制で茶の取引を行うようになります。
1858年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結び、1859年、長崎、横浜、函館の開港を機に生糸とならぶ重要な輸出品として茶181トンが輸出されました。

 

明治時代~昭和初期(1868~)

明治維新後も、茶の輸出量は政府の援助によりアメリカを中心に増加し、明治20年(1987)まで輸出総額の15-20%を占めていました。
明治初期、士族授産事業などを契機に牧の原台地などの平坦な土地に集団茶園が形成されるようになりました。しかし、茶園開拓をした士族たちは次第に離散していき、かわりに農民が茶園を継承していくようになったのです。これは、茶の輸出価格の下落や、茶園造成に莫大な費用がかかったことが原因だったようです。
集団茶園の形成は、単に茶園の形成だけにとどまらず、流通の発展、茶商、仲買人、茶問屋などの育成、各種機械の発明等茶業を中心とした関連産業の成立に影響を与えました。高林謙三(1832-1901)による茶葉揉葉機の発明をはじめ明治期には、機械化が急速に進んでいき、省力化と共に品質の安定化に寄与しました。
明治中期まで、花形輸出品として発展してきた日本茶も、インド、セイロン紅茶の台頭で、輸出は次第に停滞していきます。代わりに国内の消費が増え、お茶は国内向け嗜好飲料に変わっていきました。お茶が日本人の生活に根付いたのは、大正末期から昭和初期とも言われ、意外に新しいのです。

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